『バイオハザードRe3』感想  ~自立した女性キャラクター   その⒈ ~

<ゲーム紹介>

 本作『バイオハザードRe3』(2020)は、『バイオハザード3 LAST ESCAPE』(1999)のリメイク作品です。シューティングゲームで、ゾンビだけでなく、しきりに作中でストーカーをしてくる“ネメシス=追跡者”との闘いの恐怖は、原作3を見事に再現した作品です。プレイ時間は3~4時間で比較的にストーリーは短い作品であり、少し寂しい気もしますが、サッくと楽しめる作品です。

 

<あらすじ>

 アークレイ山地の洋館で発生した集団食人事件(バイオハザード1)の真相は生物兵器t-ウィルス漏洩による生物災害(バイオハザード)であった。調査に赴いたS.T.A.R.S.部隊は壊滅状態に陥ってしまう。

 わずかに残ったS.T.A.R.S.の隊員の一人であるジル・バレンタインは、事件の原因が大手製薬会社アンブレラ社にあることを突き止める。だがアンブレラ社の影響下で発展したラクーンシティにおいては警察組織でさえも牛耳られていた。ウィルスによる事件の証拠や証言が処分され、さらに圧力をかけられた挙句、その告発は握り潰されてしまう。

 しかし、すでにラクーンシティにおいてウィルスが漏れ、街には“人食い病”の変異が起こり始め、さらにウィルスに感染した凶暴なクリーチャーが徘徊しだす。ジル・バレンタインは恐怖と狂気に満ちたラクーンシティで生き残ってアンブレラ社の証拠を突き付けるために脱出を試みるのだが...

 

★キャラクター(公式サイト引用 http://www.capcom.co.jp/biohazard/3/

ジル・バレンタイン

 ラクーン市警特殊部隊S.T.A.R.S.アルファチームにてリア・セキュリティを担う。デルタフォースで戦闘訓練を受け、鍵開けや爆発物処理を得意とする優秀な隊員だったが、行方不明事件の調査でラクーンシティ郊外の洋館を訪れた部隊は、死者や怪物の襲撃を受け、彼女と数名を残し壊滅してしまう。

 生き残った彼女は、元凶であるt-ウィルスを開発したアンブレラ社告発のため独自に捜査を続けたが、突如上層部から自宅待機を命じられ、昼夜を問わない監視を受けることになる。この街はアンブレラ社とあらゆる分野で癒着し、支配されており、警察組織でさえ例外ではなかったのだ。アンブレラ社の悪事を世界に発信するため、ラクーンシティからの脱出を決意するが…。

 

カルロス・オリヴェイラ 

 U.B.C.S.はベテランの傭兵達を集めた実戦部隊である。カルロス・オリヴェイラもまた、ゲリラとして数々の戦場を経て流れ着いた。あらゆる銃器を使いこなし、ヘリやセスナまで操縦できる、それが実戦で身に着けた能力だった。

 部隊は簡単な任務だと信じ切って現地に赴くも、奇病は想像を絶する速度で感染拡大しており、部隊はわずか2日足らずで壊滅してしまう。それでもカルロスは数人の生き残りと市民の救出を続けようとする。持ち前の勇敢さと正義感が、彼をただ動かしていた。カルロスは生存者を探してラクーンシティを走り続ける。

 

◆ニコライ・ジノビエフ


 アンブレラの私設部隊U.B.C.S.デルタ小隊B分隊隊長。

 旧ソビエト連邦の特殊部隊スペツナズ所属の経歴を持ち、高い戦闘技能といかなる死地からも生還する生残能力を持つ。任務の遂行、そして自己の利益確保のためには何物をも犠牲にして顧みない冷徹さを持つ。


 <ブログ要約>

<本文>

自立した女性キャラクター

★自らの意志に基づいて行動するキャラクター

 『バイオハザードRe3』の主人公であるジル・バレンタインは、作中において自立したキャラクターだったと思います。まるで『羊たちの沈黙』(1991)のジョディ・フォスターが演じるクラリス捜査官のようでした(風貌、髪形、警官という属性も類似)。正義感が強く、アンブレラ社によるウィルス開発という悪事を世界に発信することを使命に独自に捜査を行い、ラクーンシティからの脱出を試みます。どんな困難な状況においてもジル・バレンタインは決してあきらめず、ゾンビが徘徊する街で警官としての責務を果たす姿はカッコ良かったです。また、ゲーム作品が様々ある中で女性キャラクターは、男性から“守られる存在”であったり、“恋愛対象”の相手という立ち位置が決まっている作品もあります。しかし、今回の『バイオハザードRe3』は、ジルは“守られる存在”や“恋愛対象”の相手というステレオタイプなキャラクターではありません。ジルは、自分自身の意志に基づいて決断・行動し、ゾンビらの暴力に決して屈せず、自らの能力を生かしてアクションしていく姿は大変カッコ良かったです。まさにジルは自立したキャラクターであり、そこが本作の魅力の一つだったと私は思います。

 

ステレオタイプを乗り越えるキャラクター

 ジル・バレンタインは、“守られる存在”“恋愛対象”の相手というステレオタイプ的な女性キャラクターではありません。本作では、ジルをひとりの女性として見てもらいたいというテーマがあったそうです。坂田ディレクターは「“ジルをひとりの女性として見てもらいたい”という裏のテーマがあるんです。(省略)しかしヒーローではなく、ひとりの女性として未曾有の大災害を生き抜く姿も見てほしいんですよ。」と述べています(https://www.famitsu.com/news/202002/26192858.html)。このようにゾンビの街で戦い、生き延びる女性キャラクターは、ステレオタイプを乗り越える要素でもあると思われます。映画の話になるのですが、シェイクスピア研究者である北村紗衣さん(さえぼー先生)は、女性映画の特徴についてドーン論[1]を援用しながら以下のように述べています。

 

 こうした主題は女性の感心事を丁寧に扱える一方、女性を家庭に押し込めるような陳腐な道徳観を強化してしまう可能性を孕んでいます。今でも面白く見られる作品がある一方で、女性にとって幸せな人生は恋愛と結婚のみであるというような画一的な価値観を押しつける物語を紡いだり、ヒロインが自己犠牲により誰かを助けてお涙頂戴で終わるなどのおきまりのモチーフに頼ったりする女性映画もあります。(北村 154 強調筆者)

 

 つまり映画作品の中には、女性キャラクターが家庭に押し込められ、“恋愛”“結婚”にしか幸せを見出せないという身勝手な価値観を押し付けてしまうものもあるということです。確かに私も北村先生の本を読むまではあまり意識しておりませんでしたが、映画だけでなくゲームの中にもそういったステレオタイプな価値観の作品があると思います。そういったステレオタイプを乗り越えることは映画だけでなく、ゲームにも共通した問題であると思います。そして今回の『バイオハザードRe3』で描かれるジル・バレンタインは、こうしたステレオタイプな価値観を打ち壊したキャラクターだったと私は思います

 

[1] 女性映画は「家庭生活、家族、子供、自己犠牲、女と生産との関係、さらにこれと対立する者としての女と再生産=生殖との関係にまつわる諸問題」を扱う傾向にあるという論

 

<参考文献>

北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』書肆侃侃房、2019年