ゲーム『ブレア・ウィッチ』感想 ~夏にオススメのホラーゲーム~

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<ゲーム紹介、あらすじ> 

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 本作のゲームは、映画ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999)の続編です。本作は、映画お馴染みのメリーランド州バーキッツビル近郊にある魔女が住んでいるという伝説があるブラック・ヒルズの”森”で繰り広げられるホラーゲームです。

 時は1996年。古くから魔女伝説が残るブラック・ヒルズの森で一人の少年が行方不明となった。過去に心の傷を負った元警官・エリス(主人公)は、少年の探索を始める。愛犬バレットと共に森の奥深くに分け入っていくエリスに、己の中の恐怖とブレア・ウィッチにかけられた森の呪いが立ちはだかり、それはお終わりのない悪夢へと変わっていく…

 

★映画へのオマージュ  ~なぜこんなに恐いゲームなのか?~

FPSで再現される原作映画の恐怖感
 本作ではFPS(First Person shooting)にすることによって、映画のビデオテープで語られるドキュメンタリー調(モキュメンタリ―)の恐怖感をうまく再現していると思いました。FPSによって主人公の視点が一人称で語られることで、呪われた暗い森の中を歩くというホラーに没入できるゲームでした。FPSのホラーゲームの類似作品として、『バイオハザード7』が該当するかと思います。ただ、『バイオハザード7』と異なるのは、武器が一切ないということです。武器がないため、アクションシューティング要素はありませんが、逆に敵への対抗手段がないという恐怖感があります。唯一、懐中電灯で敵を遠ざけることができる時もあります。しかし後半は、見つかっただけで死ぬ怪物や見てはならない怪物」など直視しただけで、死亡する敵も出てくるため、基本的に逃げることがメインとなります。こうした恐怖感は、FPSというシステムだからこそ表現できるのだと思いました。

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      <FPS視点で探索する様子>

FPSは、映画技法の“長回し”である

 『ブレア・ウィッチ』のFPSシステムは、映画技法で言う長回しのような表現形態です。“長回し”とは、カットせずにカメラを回し続ける映画技法です。“長回し”には、役者の緊張感や映像の臨場感を維持し続けることができるという効果があります。例えば、最近で言うと、『カメラを止めるな!』(2018年)や『1917 命をかけた伝令』(2019年)などがあります。一方、伝統的な映画では、アルフレッド・ヒッチコック監督『ロープ』(1948)やオーソン・ウェルズ監督『黒い罠』(1958)などがあります。FPSは一人称視点のゲーム形態ですが、これは長回しと表現形態がよく似ており、緊張感・臨場感を表現することできます。ゲーム『ブレア・ウィッチ』もFPSというある意味で“長回し”という技法によって緊張感や臨場感がうまれ、恐怖へと没入できるゲームだったと思います。

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      <FPS視点で不意に来る恐怖>


③映画でお馴染みの“呪いの森”、“魔女の家”の恐怖

・呪いの森 

 魔女が住んでいるというブレア・ウィッチの森は、本作でもどれだけ歩いても同じところに戻ってきてしまうループする迷いの森です。ゲームの冒頭で、1994年に学生グループが行方不明となっていると語られますが、これは映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のことです。暗い森の中で、懐中電灯1本だけで同じ所をさまよい続ける恐怖感がありました。映画同様に連絡手段が途絶えて孤立しまいますが、その中でも、愛犬の“バレット”の存在は、かなり大きいです。バレットは、主人公の捜査を手助けしてくれるだけでなく、“怪物”から守ってくれたりなど、ずっと側にいてくれる頼れるパートナーです。“怪物”が潜む呪いの森で、バレットの存在はかなり大きく、恐怖へ立ち向かう勇気を与えてくれます。

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       <映画でお馴染みの呪いの森>

 

・魔女の家

  映画と同様に魔女の家が登場します。廃墟化した家でもループ現象が起きますし、直視すると死亡してしまう“怪物”も出てきます。ビデオテープ越しに怪物がくっきり見えますが、正体が分からない怪物は恐かったです。映画と同様に見えない恐怖というのが襲ってくるのをゲームという媒体でうまく再現されていました。映画お馴染みの魔女の家の“手形”“オブジェ”も出てきます。

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     <映画でお馴染みのたくさんの手形>

④主人公エリスの罪悪感

 主人公エリスは、PTSDを患っており、精神的に情緒不安定なところがあります。エリスは、戦争(おそらく湾岸戦争)で仲間を見殺しにした過去や非武装のコンビニ強盗を射殺してしまった過去によって罪悪感にさいなまれています。その罪悪感との戦いが本作の主軸となり、エリスは行方不明となった少年を助けることで罪を清算しようという意識があります。罪の意識で情緒不安定になり、幻覚や幻聴みたいなのが見える演出がよくできていると思いました。しかし、幻聴や幻覚の正体は後に、ゲームをプレイしていると、違和観を感じるようになってくると思います…

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     <しきりに蘇るエリスの戦争の記憶>
 

『バイオハザードRe3』感想  ~ 自立した女性キャラクター その⒊ ~

 <ブログ要約>

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<本文>

女性差別主義者との闘い

~ジルを屈服させようとするクリーチャ~

 『バイオハザードRe3』は、女性差別主義者たちとの闘いのように感じましたゾンビ=性的欲望の象徴として解釈できるからです。ゾンビ、クリーチャーなどからの攻撃やバイオハザードシリーズ恒例の死亡集には、Youtubeに投稿されていますが、今回のジルが死ぬシーンは極めて“男性的な暴力(性的な暴力)”が象徴されているように感じます。ジル・バレンタイン(自立した女性キャラクター)ゾンビ・クリチャー(ジルを屈服させようとする家父長制的な男性性)のあいだのデス・マッチという図式が見られます。

https://www.youtube.com/watch?v=I5tNK6akS0o)←死亡動画まとめ

 ※苦手な方はご注意ください。

 

★ドレインディモス ー “男根”と“妊娠”の象徴

 ドレインディモスは、性的攻撃を象徴したクリーチャーと言えるでしょう。図にあるようにジルは、ドレインディモスから粘液まみれの触手をおもいっきり口に突っ込まれ、体内に幼虫を埋め込まれます。この触手は、明らかに“男根”の象徴です。ちなみに体内に虫が埋め込まれてゲームオーバーになると、ジルの腹から虫が吹き出してきてゲームオーバーになります。これは“妊娠”“出産”の象徴ですし、無理やり口に突っ込まれるのは“性的な暴力”のシンボルとして捉えることができるでしょう。

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(↑無理やり口に突っ込まれ、体内に幼虫を植え付けられるシーン)

 

★“マッチョイムズ”の具現化であるネメシス

 ネメシス“マッチョイムズ”[1]が具現化した存在だと言えるでしょう。ネメシスは、人間離れした図体と腕力の持ち主で、さらにバズーカ砲を持ってジルをしきりにストーカー(追跡者)してきます。図に分かるように攻撃しても自己修復を繰り返し、何度もジルを追跡し触手で攻撃してきます。ジルを力でねじ伏せようとし、マッチョな腕で攻撃してきたり、触手(ファルスのシンボル)で掴んだり突き刺してきたりし、ある種の“性的暴力”のシンボルと考えられます。作中において、ジルはこのような暴力と真っ向から闘いを挑みます。

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(↑触手で攻撃し、さらに何度も自己修復を繰り返す)

 ★ネメシスとエイリアン

 ネメシスはジルに攻撃され続けられると、形態変化をして外見がまるで映画のエイリアンのようになっていきます。エイリアンの外見は、内田樹さんによると男根”を象徴したモンスターであるそうです。内田さんはエイリアンの外見に関する“男性の性的攻撃”の記号について以下のように述べています。

 

H・R・ギーガーの造型したエイリアンは、その男根状の頭部を見るまでもなく、攻撃の前に口元から滴らせる半透明の液体、純粋な攻撃性、自己複製を作り出すことへの飽くなき欲望といった徴候から分かるとおり、男性の性的攻撃の記号です。(内田 62 強調筆者)

 

 つまり、内田さんによるとエイリアンの頭は“男根”を象徴し、さらに口から垂らす液体は精液”を表したものであり、男性の性的欲望を具現化したものであるそうです。ネメシスはデザインだけでなく、ジルを何度でも追いかけ回し自己修復する姿は、エイリアンと重なるところがあると考えられます。したがって、ネメシスもジルを屈服させようとする家父長制的な男性性、あるいは性的攻撃のシンボルとして解釈できると思います

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(↑右:ネメシス形態変化、左:エイリアン 極めてデザインが類似

 

 作中におけるジルとネメシスとの決戦は、極めて爽快的です。ジルがレールガン(ファルス[2]の象徴)を手にしてぶっぱなし、ネメシスが粉砕されます。こうして自立性を屈服させようとする家父長制的な男性性は敗れ、ジルの勝利に決まるのです。

ちなみに、性差別主義者であったニコライも最終的にはジルに倒され、ラクーンシティに落とされるミサイルと共に消え去ります。ニコライはアンブレラ社の黒幕の正体を明かす代わりにジルに命乞いをし、「後悔するぞ。俺が死んだら真相は闇にほうむられるんだぞ」と言います。しかし、ジルはニコライの言葉に耳を傾けず、「それくらい明らかにして見せるわ」と言います。このようにジルは、ニコライ(男性)の力を借りることなく、自力でアンブレラ社と戦うことを決意します。ここにジルは自立性のあるキャラクターが確立します。

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    (↑レールガンでネメシスと最終決戦をするシーン)

 ラクーンシティを脱出したヘリの中で、ジルは「無数の命を奪ったのは“怪物をつくるウィルス”ではなく、人間の欲望だ」と物思いにふけ、物語は幕を閉じます。この“欲望”とは様々な解釈ができると思いますが、怪物よりも“人間が一番恐ろしい”というありきたりのテーマではありますが、ものすごく考えさせるストーリーだったと思います。

 

[1] 男らしさや男性としての魅力や特徴を誇示し、「男性優位主義」の言説や主張を重んじる考え方

[2] 男性器官をかたどっているものを表しているもの。精神分析では、ペニスが肉体的実在としての男性器官を示すのに対し、象徴的意味を強調する。

 

<参考文献>

内田樹『映画の構造分析 ハリウッド映画で学べる現代思想』文春文庫、2011年

『バイオハザードRe3』感想  ~自立した女性キャラクター その⒉ ~

<ブログ要約>

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<本文>

ジル・バレンタインの原型は、『エイリアン』の

主人公“リプリー”である

 

 ジル・バレンタインは、“戦う”自立した女性キャラクターとして作中で描かれます。その女性キャラクターの原型とも言える映画作品の一つに『エイリアン』(1979が挙げられると思います。映画『エイリアン』の主人公であるリプリーは、自立した女性キャラクターとしてフェミニズム観点から高い評価を受けているみたいです。私はこの映画を幼い時に見ましたが、楽しんでいたと同時にトラウマでした(笑)。特に男性の腹からエイリアンが飛び出てくるシーンは今見ても衝撃的です。

 話に戻りますが、フランス文学者の内田樹さんによると、主人公リプリー「白馬の王子さまの救援を待たず自力でドラゴンを倒す自立した「お姫様」です。」(内田 61 強調筆者)だそうです。リプリーは、エイリアン掃討における孤独の死闘において、「女であること」は利益も不利益ももたらすことがありません。内田さんによると、リプリーはハリウッド映画がはじめて造型に成功したジェンダー・フリー」ヒロインだそうです。さらにリプリーは、これ以後、ジョディ・フォスターデミ・ムーア、メグ・ライエン、サンドラ・ブロックジュリア・ロバーツらが演じることになる「男性の暴力に決して屈しない自立し、自己決定するヒロイン」の原型となったそうです(同上)。『バイオハザードRe3』のジル・バレンタインもゾンビやクリーチャーと戦う姿が描かれます。ゾンビやクリチャーは、暴力で屈服させようとする”エイリアン”と重なると考えられます。そしてジルもまた、自力で様々な試練に立ち向かい、暴力に屈服しない姿はリプリーと重なるところがあると思います。

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ジル・バレンタインと男性キャラクターとの関係性

★“性差別主義者”であるニコライ・ジノビエフ

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 作中においてニコライ・ジノビエフは、ジル・バレンタイン差別”し続けます。ニコライは現実の世界でいえば、極めて保守的でセクシスト(性差別主義者)であり、金が全てだという資本主義の権化みたいなキャラクターです。現代の闇がすべて集約されたキャラクターがニコライです、まるでどこかの大統領みたいなキャラクターです(笑)。図に分かるようにニコライは、「この女は足手まといになるだけだ」「ここぞという時に引き金すら引けない」とジルを常に“弱い者”として軽蔑しています。

 さらに後のストーリー展開において、ニコライはジルをアンブレラ社との取引に利用しようとし、ジルのことを“道具”あるいは“大金になる”ものとしてしか考えていないキャラクターであることが明らかになります。

カルロス・オリヴェイラ

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 カルロスはジルのことを一人の人間として扱い、ニコライとは対照的なキャラクターです。カルロスは、ゾンビが徘徊しパニックが起きている街においても市民を救助することを第一としています。ストーリーの序盤では、ジルに対して“レディ”呼ばわりしたり、過保護すぎるシーンがあります。しかし、ジルが命がけで戦う姿を見て、彼女への見方が段々と変化していきます。

 後に同僚のタイレルに「あのセクシーな連れも?」とからかわれた時も、カルロスは「彼女はそういうんじゃない。素晴らしい警官だ」と言い切ります。カルロスはジルの外見ではなく、警官としての能力や正義感を高く評価し、内面を見るようになって行くのです。

 ちなみにカルロスは、原作と大幅にキャラクターデザインが変更されています。原作のほうは、ブラジル系ということで褐色の肌に、明るい陽気なキャラクターでした。今回のリメイク作品では髪形がパーマになり、性格も真面目なキャラクターとなっています。

 

<参考文献>

内田樹『映画の構造分析 ハリウッド映画で学べる現代思想』文春文庫、2011年

『バイオハザードRe3』感想  ~自立した女性キャラクター   その⒈ ~

<ゲーム紹介>

 本作『バイオハザードRe3』(2020)は、『バイオハザード3 LAST ESCAPE』(1999)のリメイク作品です。シューティングゲームで、ゾンビだけでなく、しきりに作中でストーカーをしてくる“ネメシス=追跡者”との闘いの恐怖は、原作3を見事に再現した作品です。プレイ時間は3~4時間で比較的にストーリーは短い作品であり、少し寂しい気もしますが、サッくと楽しめる作品です。

 

<あらすじ>

 アークレイ山地の洋館で発生した集団食人事件(バイオハザード1)の真相は生物兵器t-ウィルス漏洩による生物災害(バイオハザード)であった。調査に赴いたS.T.A.R.S.部隊は壊滅状態に陥ってしまう。

 わずかに残ったS.T.A.R.S.の隊員の一人であるジル・バレンタインは、事件の原因が大手製薬会社アンブレラ社にあることを突き止める。だがアンブレラ社の影響下で発展したラクーンシティにおいては警察組織でさえも牛耳られていた。ウィルスによる事件の証拠や証言が処分され、さらに圧力をかけられた挙句、その告発は握り潰されてしまう。

 しかし、すでにラクーンシティにおいてウィルスが漏れ、街には“人食い病”の変異が起こり始め、さらにウィルスに感染した凶暴なクリーチャーが徘徊しだす。ジル・バレンタインは恐怖と狂気に満ちたラクーンシティで生き残ってアンブレラ社の証拠を突き付けるために脱出を試みるのだが...

 

★キャラクター(公式サイト引用 http://www.capcom.co.jp/biohazard/3/

ジル・バレンタイン

 ラクーン市警特殊部隊S.T.A.R.S.アルファチームにてリア・セキュリティを担う。デルタフォースで戦闘訓練を受け、鍵開けや爆発物処理を得意とする優秀な隊員だったが、行方不明事件の調査でラクーンシティ郊外の洋館を訪れた部隊は、死者や怪物の襲撃を受け、彼女と数名を残し壊滅してしまう。

 生き残った彼女は、元凶であるt-ウィルスを開発したアンブレラ社告発のため独自に捜査を続けたが、突如上層部から自宅待機を命じられ、昼夜を問わない監視を受けることになる。この街はアンブレラ社とあらゆる分野で癒着し、支配されており、警察組織でさえ例外ではなかったのだ。アンブレラ社の悪事を世界に発信するため、ラクーンシティからの脱出を決意するが…。

 

カルロス・オリヴェイラ 

 U.B.C.S.はベテランの傭兵達を集めた実戦部隊である。カルロス・オリヴェイラもまた、ゲリラとして数々の戦場を経て流れ着いた。あらゆる銃器を使いこなし、ヘリやセスナまで操縦できる、それが実戦で身に着けた能力だった。

 部隊は簡単な任務だと信じ切って現地に赴くも、奇病は想像を絶する速度で感染拡大しており、部隊はわずか2日足らずで壊滅してしまう。それでもカルロスは数人の生き残りと市民の救出を続けようとする。持ち前の勇敢さと正義感が、彼をただ動かしていた。カルロスは生存者を探してラクーンシティを走り続ける。

 

◆ニコライ・ジノビエフ


 アンブレラの私設部隊U.B.C.S.デルタ小隊B分隊隊長。

 旧ソビエト連邦の特殊部隊スペツナズ所属の経歴を持ち、高い戦闘技能といかなる死地からも生還する生残能力を持つ。任務の遂行、そして自己の利益確保のためには何物をも犠牲にして顧みない冷徹さを持つ。


 <ブログ要約>

<本文>

自立した女性キャラクター

★自らの意志に基づいて行動するキャラクター

 『バイオハザードRe3』の主人公であるジル・バレンタインは、作中において自立したキャラクターだったと思います。まるで『羊たちの沈黙』(1991)のジョディ・フォスターが演じるクラリス捜査官のようでした(風貌、髪形、警官という属性も類似)。正義感が強く、アンブレラ社によるウィルス開発という悪事を世界に発信することを使命に独自に捜査を行い、ラクーンシティからの脱出を試みます。どんな困難な状況においてもジル・バレンタインは決してあきらめず、ゾンビが徘徊する街で警官としての責務を果たす姿はカッコ良かったです。また、ゲーム作品が様々ある中で女性キャラクターは、男性から“守られる存在”であったり、“恋愛対象”の相手という立ち位置が決まっている作品もあります。しかし、今回の『バイオハザードRe3』は、ジルは“守られる存在”や“恋愛対象”の相手というステレオタイプなキャラクターではありません。ジルは、自分自身の意志に基づいて決断・行動し、ゾンビらの暴力に決して屈せず、自らの能力を生かしてアクションしていく姿は大変カッコ良かったです。まさにジルは自立したキャラクターであり、そこが本作の魅力の一つだったと私は思います。

 

ステレオタイプを乗り越えるキャラクター

 ジル・バレンタインは、“守られる存在”“恋愛対象”の相手というステレオタイプ的な女性キャラクターではありません。本作では、ジルをひとりの女性として見てもらいたいというテーマがあったそうです。坂田ディレクターは「“ジルをひとりの女性として見てもらいたい”という裏のテーマがあるんです。(省略)しかしヒーローではなく、ひとりの女性として未曾有の大災害を生き抜く姿も見てほしいんですよ。」と述べています(https://www.famitsu.com/news/202002/26192858.html)。このようにゾンビの街で戦い、生き延びる女性キャラクターは、ステレオタイプを乗り越える要素でもあると思われます。映画の話になるのですが、シェイクスピア研究者である北村紗衣さん(さえぼー先生)は、女性映画の特徴についてドーン論[1]を援用しながら以下のように述べています。

 

 こうした主題は女性の感心事を丁寧に扱える一方、女性を家庭に押し込めるような陳腐な道徳観を強化してしまう可能性を孕んでいます。今でも面白く見られる作品がある一方で、女性にとって幸せな人生は恋愛と結婚のみであるというような画一的な価値観を押しつける物語を紡いだり、ヒロインが自己犠牲により誰かを助けてお涙頂戴で終わるなどのおきまりのモチーフに頼ったりする女性映画もあります。(北村 154 強調筆者)

 

 つまり映画作品の中には、女性キャラクターが家庭に押し込められ、“恋愛”“結婚”にしか幸せを見出せないという身勝手な価値観を押し付けてしまうものもあるということです。確かに私も北村先生の本を読むまではあまり意識しておりませんでしたが、映画だけでなくゲームの中にもそういったステレオタイプな価値観の作品があると思います。そういったステレオタイプを乗り越えることは映画だけでなく、ゲームにも共通した問題であると思います。そして今回の『バイオハザードRe3』で描かれるジル・バレンタインは、こうしたステレオタイプな価値観を打ち壊したキャラクターだったと私は思います

 

[1] 女性映画は「家庭生活、家族、子供、自己犠牲、女と生産との関係、さらにこれと対立する者としての女と再生産=生殖との関係にまつわる諸問題」を扱う傾向にあるという論

 

<参考文献>

北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』書肆侃侃房、2019年